January 08, 2006

『絵画的精神』を読んで

以前、ある切っ掛けがあってこちらのweb-pageになる『絵画的精神』という小論文を読んだ。
http://www.tatsuru.com/guests/ishizawa.html
それは読めば読むほど今までに自分が構築してきた意味世界にとても近いものに思えた。ある一章を要約にて引用する。
ある人が絵を見て「この絵は美しい。なぜなら...」と言ったそうだ。しかしそれは正しくない。なぜなら、その絵が美しいのではなくてその絵に内在する何かがそれを観た者に美しいと感じさせるからであり、その何かとは物質的なものではなく観る者との間の関係である、のだと言う。
ここでいう『関係』というのがまさに俺の意味世界の主軸なのだ。簡潔に説明すればこうなる。俺という世界は俺という物質だけからなる空間に存在する。そして時折、風のように外の空間が俺の空間に干渉し、それを俺の持つ感覚器が関知し、俺という物質に働きかける。その結果として俺の中の何かが『熱い』だとか『痛い』だとか感じさせているのだ。ここにおける『干渉』というのは『絵画的精神』における『関係』と置き換えることが可能であるように思う。
結局の所、意味論というのは物質と物質の間の写像を再帰的に写像することなのである。その延長線上で俺という物質とそれ以外の何かの物質が結ぶ『関係』が痛みであったり苦しみであったり幸福であったりするのだ。俺という物質は孤独という巨大なpoolに浮かぶ一握の砂に過ぎないのだ。
また、序説には「俺の汗やなみだが知っていることは、俺の知識よりもいつも確実だったし、信頼に足るものであった」とある。ここでの「汗やなみだ」は後者に対して『体験』とか『経験』と置き換えることができるだろう。更に体験ないしは経験を非言語的知識、後者を言語的知識を置き換えたい。筆者によれば、何事であれソレを言語によって明らかにすることはソレ自身を語っているのではなく言語によって言語を語っているに過ぎないのだと言う。つまり言語的知識というのは本質において真理でも真実でもないのだ。だから非言語的知識のほうがより正確であり信じるに足るのだ。

Posted by Samourai | Comments(0) | TrackBack (0)