何事にも適度ってあるんだと思います。
ということで色々な物の適切な大きさを考えてみましょう。
例えば中東の貴族王族の豪邸なんかと日本の四畳半はどっちが住みやすいでしょうね。
投票したら0対100とか100対0なんていうことにはならないと思いますが
もしここにもう一つの選択肢が加わったらどうなるでしょうか。
二階建てもしくは三階建てで浴室は一つだけでも広々としたキッチンや
リビングルームに、休日にはバーベキューが楽しめるくらいの小さな庭。
たぶんですが票の8割くらいは第三の選択に集まるんじゃないでしょうか。
人口一人あたりの国土が0.4km^2のオーストラリアと0.0025km^2の日本はどうでしょうか。
オーストラリアの家族構成を詳しくは知りませんが6人程度としてみましょう。
単純に一つの家に6人住んでいるとしたら一棟あたり2.4km^2の面積を割り当てられると見ることができます。
これは凡そ1.5km四方ということになります。
隣家まで車で移動していては時間が掛かるからどのうちも自家用セスナを持っていると聞いたことがありますが
まんざら冗談でもなさそうですね。
日本の方はというと3人構成だとして0.0075km^2ですから86メートル四方あたりでしょうか。
しかし実は日本は山野の割合がとても高いので人間が生活可能な可住地面積となると32.5%しかありません。
一軒の住宅は28メートル四方しか占有できません。
これに道路や住宅以外の施設なども加味していくと日本の住宅事情が浮かび上がってくるんですね。
交通事情といいレジャー環境といい日本のこの問題は当分解決しそうにありませんが
それは高すぎる人口密度だけではなく低すぎる可住地面積(生活可能面積)が原因なんです。
オーストラリアは広すぎて不便そうだし、日本は窮屈で不便。
となったらやはりどこかには適度な国土と適度な人口密度、
少なすぎず多すぎない山林自然を持った国もあるんじゃないかと思うのが自然ですね。
ですが生まれてきてしまったんですから隣の青い芝生を指咥えて眺めても仕方がありません。
国土や人口密度というのはどうしようもない問題なので今度は総人口を考えてみます。
100人の国家なんてあったらどうでしょうか。
国土の防衛に10人が駆りだされ、国の代表として立つ人や裁判官・警察官なども必要だ……なんていうことを考えていくと100人の国家というのはかなり非効率的ではないでしょうか。
では人口10億人以上を誇る中国はどうでしょう。
アメリカやインドでもいいですが、ああいう超大国ともなると
「個性の差」が如何ともし難い問題となってきます。
中国を挙げても"大まかに分類して"56の民族と16の言語、4つの宗教。
もちろん詳細を挙げればこの程度の数字ではないが、
問題はそこではなく一つの国にこれだけ多くの相容れない人同士がまさに十把一絡げに同じ入れ物に収められていることなんではないでしょうか。
では一つの人種毎に民族毎に言語毎に宗教毎に別れていったらどうなるかというと
少数民族では先に挙げたようなことからとても国家を運営することはできません。
理想的には日本のように同じ人種でかつ民族的言語的宗教的に同一であることが好ましいですが
このような超大国において少なくとも多数派は独立したほうがより平和になるんじゃないかと思います。
インドからパキスタンが、マレーシアからシンガポールが分離したようにです。
上で議論したようなある程度国家の構成員の多様性を制限した上でですが
更にその総人口についても考えてみたいと思います。
手っ取り早いので日本を例にしましょう。
もし日本が10億人国家だったら、どうなるか。
縦え日本人がとても似通っているとしても10億人の中の平均から大きく外れた人、
共に生活することが著しく困難な人は一国を成り立たせるほどにいるのではないかと考えられます。
このように構成員の平均を考えると単一民族ですら超大国の運営は難しくなり得るのです。
それに加えて社会はその規模をますほどにその効率が低くなるという性質がありますから
10億人もいたら日本の行政処理能力は追いつかなくなってしまうでしょう。
これらのことを考えるとアメリカのようにマイノリティを尊重しつつも
あれだけの多様な人種を受け入れて運営している国家というのは奇跡に近い物があります。
ありますが、それは奇跡なのであってとてもreasonableではありません。
reasonableな数値としては5000万人程度でしょうか。
根拠はありません。
単一民族国家であり、かつ人口5000万人。
これが行政能力や社会問題解決困難性などを考えたときの理想値ではないかと思います。