最近、テレビや新聞の中で
「愚直に挑戦するだけです」「愚直に頑張ります」なんていうフレーズがよく聞かれる。
はて、愚直という言葉はそういうものだったのか。
大辞林第二版によるとその意味とは以下であった。
【愚直】
正直すぎて気のきかない・こと(さま)。馬鹿正直。
正直なばかりで臨機応変の行動をとれないこと。また、そのさま。ばか正直。「―に生きる」
【馬鹿正直】
愚かと思えるほど正直なこと。融通がきかなくて、ただ正直なこと。また、そのさま。また、そのような人をもいう。
正直すぎて融通がきかないこと。また、その人や、そのさま。「―な人」
またインターネット検索をしてみると
『「愚直」論』
『もっと強く、もっと愚直に』
『愚直のススメ』
というようにまさに「実直」や「誠実」の代替語としての地位を獲得しているようである。
またシソーラスによれば
広義語として『純粋』『まじめ』『正直』が挙げられていた。
ここにくると現在使われている『愚直』にかなり近寄った意味が読み取れる。
確かに日本には謙遜の文化が根深い。
決して自分を大きく見せないという文化が現に、あった。
しかし現代にも昔と同じ形で残っているかというと若干の疑問が残るのだ。
個人的には、現在主流とされる自己表現法とは自分の正当性の証明に重きを置いているように思うのだ。
正当性とはつまり、『こんなことをした』『だからこそ今の自分がある』ということであり
『正当な努力によって獲得された自己』実現というものが現在最も大きな徳として掲げられているのではないだろうか。
例えばventure精神というものもこれを基底にしているように思う。
ここにきてまた、愚直の(現代的な)意味合いとその使われ方に矛盾を感じてしまう。
なぜ正当性を主張することではなく古き謙遜の精神に回帰したのだろうか。
そこからは『責任回避』という印象を受けてしまう。
正当性というものは責任や義務の総てを負った上で認められるものなのだから。
ここからはventure精神とanti-venture精神とが同居した矛盾と欺瞞を感じずにはいられない。