春は曙……か。
いや,冬はつとめて……か。
果たして冬の夜こそ,と思うのだが。
冷たい空気が身に寄ってくる。
1mm,2mmの隙間を置いてその世界はとても小さく収まっていく。
どこまでが自分でどこからが自分でないのか。
境界線は淡く,とても清々しい。
鼻腔を通り肺へと達する空気に一部の無駄もなく,ただただと通り過ぎる。
手の感覚を奪うその冷たさは別の何かも序でに取り除いてくれるようである。
帰路に着き,ほうと息つくとまた別の何かがポツと浮かんだ。
春眠暁を覚えず
処処啼鳥を聞く
夜来風雨の声
花落つること知んぬ多少ぞ
More...とりあえず今夜は
この辺でよしとしよう
後はテレビでお茶を濁そう
綱渡りばかりだ
崖っぷちばかりだ
言い訳考えて楽になろう
ちょっとだけ気になる隣が
目障りだけれど寝ちゃえば平気
ほっといて そっとして 今に笑えるから
遠慮なんか 無理にするな!
進め なまけものよ
とりあえず今夜も
この辺でよしとしよう
別に何にも変わってないけれど
縦横無尽 自由自在
憧れは誰よりも
変わらない事も一つの才能
ちょっとだけ気になる隣が
羨ましい夜は 心に聴け!
ほっといて そっとして だけどもっと褒めて
言い訳はほどほどに
進め なまけものよ
やけに長い冬だな
とても長い夜だな
そろそろ雪も解け始めてる
ほんと言って ちょっとだけ 何か泣きたくなる
それでいい それがいい
進め なまけものよ
言い訳はほどほどに 進め なまけものよ
最後には 最後には 笑え なまけものよ
斉藤 和義
元々は露崎春女という名前で活動していた女性ヴォーカルの方がどういった経緯があってか,
Lyricoと改名して最初に発表したアルバムがこの『Tender Lights』。
4オクターブの声域を武器とする所謂歌姫系,パワーヴォーカル系ですが
このタイプによくありがちな周りの音との分離を避け,うまく舵取りするという点では
非常に豪華なプロデュース陣の働きがあってこそでしょう。
アレンジも格好良く収まっていて詞と曲の調和も取れていると思います。
ヴォーカルとしての力を出しすぎたり出なさすぎたりとコントロールが難しい中で
まだまだ底力は果てしない,これからが楽しみな人です。
今でも高い確率で大抵の高校現代文教科書に採用される作品の一つが
中島敦の『山月記』だと思う。
それというのは単にこの作品が文学的意味合いとして
優れたhumanismを発揮したからというだけではなく
高校生という記号に何らかの符帳を付けるというようなものであったように今更ながら思う。
端的にそれは「『臆病な自尊心』と『尊大な羞恥心』」とにあったと言えないでもないが
既に虎というそれに十二分に含まれるものでもある。
夏目漱石の『ひとり』もまた頻出の題材であったにも関わらず
『山月記』にだけそれだけのインパクトを受けたというのは
偏<ひとえ>に人生の好期に読む機会を得られたということだろう。
しかしながら,あの頃からあまり自分が変わっていないということが
やはり――と思わずに居られない自分が悲しい。
変わることが良いことなのか悪いことなのか,必要なことなのかすべきものなのか。
未だに何も分からないが。