ゴルバチョフの青写真とは如何なるものであったのか、
そして彼は歴史にどんな足跡を遺したのか。
ソ連最後の数年をトップとして歩き続けたゴルバチョフに注目してみたい。
85年に書記長に就任すると、ゴルバチョウフは矢継ぎ早に人事を改めていった。
強いソ連を作るに当たっては古い血を抜くことから、と考えたらしい。
81年にはレーガンのソ連は「悪の帝国」発言や『戦略防衛構想』(SDI)によって
米ソ間が非常に険悪になっていたような、まさにその時代、
レーガンと米ソ首脳会談を行い核軍縮交渉の加速、相互訪問などを骨子とする共同声明を発表した。
#SDI構想……衛星から大陸間弾道ミサイルを迎撃する構想で、経済的体力を考えると
#これが完成した暁にはソ連に対する完全勝利となるはずだった
#そのためにロシアは今でもSDI構想を強く否定している
翌86年には「建て直し」を意味する『ペレストロイカ』を提唱し本格的なソビエト体制の改革に着手する。
その第一歩が大規模な軍縮であった。
この年の米ソ首脳会談ではSDI構想を巡りレーガン・ゴルバチョフは対立、会議は暗礁に乗り上げた。
しかし87年には『INF全廃条約』という歴史的な合意を見るに至った。
#INF全廃条約……中・短距離ミサイルの完全撤廃
その後、88年頃には議会制の限界から大統領制を導入、ソ連最初の大統領となる。
西側諸国との関係改善に積極的に出るものの、
翌年には、ポーランドやハンガリーを皮切りに共産党体制が相次いで倒れ
11月には冷戦の象徴であったベルリンの壁が崩壊した。
12月には地中海のマルタ島でブッシュが会談し、冷戦の終結を宣言した。
東西ドイツは統一に向かうが統一後のドイツがNATOに入ることに難色を示し、
最終的にはNATO帰属を認めて90年にはドイツが統一される。
同年、社会主義をより強固とするために複数政党制を導入するが
保守派はこの一連の改革に危機感を募らせ
91年に大統領別荘に逗留しているところをクーデターで拘束、
エリツィンなどの働きによりクーデターそのものは失敗したもののゴルバチョフの求心力は急速に衰える。
既に独立の気運を高めていたバルト三国はこの事件によりついに独立を達成し
他のソ連を構成する各国も独立の動きを見せた。
その結果、同年末には連邦よりも結束の緩い国家連合体としての『独立国家共同体』(CIS)を結成、ソ連を解体する。
#既に脱退していたバルト三国はCISに未加入となる。
#また三国はついに今年2004年の5月に念願のEU参加と相成った。
#しかしEU内先進諸国との経済格差は依然として大きく、大きな問題を抱えている。
既にキューバ危機前後から譲歩の連続であったソ連はこうして解体されたが
解体されたからこそ浮き上がってきた問題も数多く、改めてソ連という重圧を感ずる契機となった。