次の問題は極東における西側東側の争いです。
中国は共産化し、朝鮮では朝鮮戦争が。
第二次世界大戦中に日本の統治下に入っていた台湾や満州はそれぞれに返還されましたが、
そのゴタゴタの中で米ソは朝鮮半島を分割占領していました。
そこで突然、ソ連は挑戦の共産化を目論み武力で南下し始めました。
慌てたアメリカも急いで日本から朝鮮半島に向かい北上し、北緯38度線に米ソの境界線が引かれました。
ソ連占領地には北朝鮮が、アメリカ占領地には韓国がそれぞれ成立しました。
日中戦争では元々は一致団結することはなく各地にバラバラに拠点を持っていた
いくつかの勢力がまとまり日本に抵抗していました。
その中で特に強い勢力を持っていたのが国民党と共産党であり、この2つは本来反目しあう仲です。
当然、日本問題が片付くと国内問題が再燃し、国民党にはアメリカが共産党にはソ連が付きました。
しかし内部腐敗の進む国民党は国民からの支持も得られずアメリカからの支援も打ち切られ
ついには共産党により北京が占領され、ここを首都に中華人民共和国が成立しました。
共産党のリーダーとして国政についたのは毛沢東です。
権力争いに敗れた国民党は台湾に逃げ込み、旧政府である中華民国政府を維持しました。
ここから中国の一国二政府状態が始まります。
その頃、北朝鮮軍はソ連の最新鋭戦車に乗り込み38度線を南下し始め、
韓国軍を蹴散らして首都ソウルまで制圧します。
韓国軍は釜山に逃げ込みあわやというところでアメリカを中心とする国連軍が到着します。
国連軍の働きもあり韓国軍はソウルを奪還、更に北朝鮮首都ピョンヤンを制圧します。
ところが今度は中国の人民開放軍が北朝鮮側を支援し、結局は38度線で再び睨み合うというところに落ち着きました。
この軍事境界ライン板門店で『休戦協定』がなされ、今でも休戦状態にあります。
幸か不幸か、この板門店周辺には手付かずの自然が昔のままに残っているのです。
このとき、日本は国連軍(アメリカ軍)や韓国軍の軍需品を生産輸出したためにいわゆる『朝鮮特需』であった。
実際のところ、この特需による利益は疲弊した日本国土を回復するには十分ではなく
本格的に日本が持ち直すのはその2年後の1955年、神武景気を待ちます。
#今の日本の輸出依存は直接には特需から始まったため、そういう点ではマイナス
#神武景気は輸出増と技術革新、国内消費の高まりと更にインフレが起こらなかったことなど背景に