『冷戦の爪痕』。
そのように思える遺構が未だに世界各地に残されている。
終戦後の1947年にイギリスが勢力下にあったギリシャ、トルコから撤退し、
防波堤を無くした欧米諸国に社会主義が流入することを恐れたアメリカが
自由主義を守るためにギリシャ、トルコに対して経済的・軍事的援助を決定した。
時の大統領の名前から『トルーマン・ドクトリン』と呼ばれる最初の社会主義封じ込め政策である。
#ドクトリン……政治・外交における基本原則
更に、三ヶ月後には第二次世界大戦の戦地になり疲弊の限りにある欧州諸国に対し
復興支援することを決定した。
これを『マーシャル・プラン』と呼ぶ。
西にはNATO(北太平洋条約機構)が結成され、東では西諸国での共産党組織化としてコミンテルムを結成、
更にマーシャルプランへの反抗として『コメコン』(経済相互援助会議)を設立し、
軍事同盟『ワルシャワ条約機構』を結成。
ドイツは東西に分割・統治され、東側による封鎖的政策をイギリス首相チャーチルは「鉄のカーテン」と表現した。
ソ連は戦後補償としてドイツ紙幣を大量発行しようと計画し、
反対する西側が新しい通貨ドイツマルクを置く通貨改革を断行しようとしたが
ここで西ベルリンが封鎖されてしまう。
そのため、西ベルリンは完全に孤立してしまい、なんとアメリカは一分置きという頻度で
ドイツに物資を空輸し続ける大空輸作戦を展開した。
封鎖されていた11ヶ月で延べ27万7000便であった。
結局、封鎖が解かれたあとにドイツは東西に完全に国として分かれてしまう。
東西ドイツが統合されてから14年が経つが未だ両側の経済的格差は埋められていない。
『冷戦の爪痕』の一例である。