October 19, 2004

社会主義の始まり

社会主義が実際のシステムとして世の中に誕生した最初はロシアですが、
そこまでに至るまでにはいくつかの契機がありました。

(1)帝政の崩壊
時は1917年。
第一次世界大戦でのドイツとの抗争の中で兵士の間に厭戦的な雰囲気が広まり、
同時に軍備不足から物価全体にインフレーションが進行したため
国民の間に戦争反対の機運が高まった。
そうした中でソヴィエトが結成され、軍の内部でも革命派が多数を占め
最終的には革命派により皇族が処刑された。
これが『3月革命』(2月革命とも)です。

(2)11月革命(10月革命)
3月革命後は臨時政府とソヴィエトとの二重政権の中で戦争が続いていたが
そこにポリシェヴェキのリーダーであるレーニンが3月革命時の亡命先から帰国した。
#ポリシェヴェキ……ロシア社会民主労働党の分派で左派で過激派
レーニンは帰国後ただちに『4月テーゼ』を発表し、
その中で「臨時政府を支持しないこと」、「議会制ではなく社会主義のソヴィエト共和国樹立」を主張した。
#テーゼ……政治の方針書
そしてクーデターを起こし、ほぼ無血で臨時政府を倒しソヴィエト議会を樹立した。
11月革命はまた『ロシア革命』とも呼ばれる。
そして4月テーゼの通りに第一世界大戦からは離脱した。

更にソヴィエト政権、つまり社会主義を世に広めるために『コミンテルン』が結成され
世界各国の革命政党・組織の指導機関として、各国の共産党を指導し、民族運動を援助した。

しかし、社会主義国家の成立は既に起こっている国土の荒廃や続く飢饉とそのシステムとによって
ほとんど理想の通りには運営されなかった。
数年後に新経済政策『ネップ』が発表され農作物の余剰生産物については自由売買可能とし
これによって国民の生産意欲が高まり生産は回復した。
しかし同時に自由売買範囲内での貧富の差が生じ、結果的には自己矛盾となってしまった。

1922年にソ連が成立し、1924年にレーニンが死亡すると後継者争うと共に
後継者間での路線の違いが浮き上がった。
レーニンの右腕であったトロッキーは「世界全体を社会主義にしてこそ正しく機能する」と主張し
左腕であったスターリンは「ソ連のような大国は一国で可能」とした。
結果的には翌年1925年の共産党大会でスターリンの一国社会主義論が採択され
スターリンは反対派を排除し議会を掌握し、ネップを改め『第1次五カ年計画』を発表した。
#第1次五カ年計画……重工業に重点をおく工業化と農業の集団化
その頃、資本主義諸国が世界恐慌(1929年)の影響を受け生産性を落としているにもかかわらず
ロシアのみはこの計画に合わせて予定通りに生産性を向上、5年後には工業生産量が倍にまでなった。
第1次計画の成功によりスターリンは第2次計画として特に重工業と軍需生産増加を推し進めた。
この1930年代にはスターリンによる大静粛が行われ、反対派が次々と殺されていった。
同時にドイツではファシズムが台頭し、ナチスによるオーストリア強制併合政策が第二次世界大戦の引き金となった。
#ファシズム……世界恐慌により資本主義国に発生した議会制民主主義を否定する独裁的な政治形態
日本も日独伊三国同盟によって枢軸国側で第二次世界大戦に参戦。
#日中戦争で思うように進行できない時に、ロシアから中国への援助を最も恐れに日独伊防共協定を締結した
結果的には連合国の勝利に終わり、戦勝国は国連の常任理事会の顔ぶれでもある。

日本がポツダム宣言を受諾する直前のヤルタ会談で戦後の枠組みが定められたが
同時に資本主義国家とソ連との冷戦の始まりともなった。
ここからがいわゆる冷戦時代である。

Posted by Samourai | Comments(0) | TrackBack (0)