日本国憲法は1946年に制定されてから60年弱、何度も改正の気流が高まりつつも
未だに最初の形を保っています。
例えば旧大日本帝国憲法の下地になった『プロイセン憲法』の国ドイツ。
ここでは第一世界大戦の敗戦処理の過程で『ワイマール憲法』に改めました。
しかしこの憲法は近代稀に見る平和憲法でありながら
かのヒトラーを生み独裁政権を成立させてしまったという過去があり
現『ボン基本法』に辿りつきます。
しかしなんとこの憲法は一年に一回近くも改正されているのです。
どうやら日本と欧米では憲法に対する見方・捉え方に大きな違いがあるようです。
まず日本の憲法ではどのようにでも解釈できるような憲法文章であり、
それに関する政府の公式解釈こそが実質的な憲法になるわけです。
これでは与党が入れ替わるたびに憲法の意味が変わりうるということです。
また、国民の同意なしに変わりうるということです。
もちろん、既になされた解釈は十分に妥当なものですから
無闇矢鱈に弄ることは次に選挙に影響する可能性があります。
それでもこれでは法律としてはあまりにお粗末。
どんな種類の人間が読んでも常に不変な文によって定めることこそが法律の原意ではなかったでしょうか。
なぜあえて改正のしにくい憲法と改正のしやすい法律の二つが存在するのかを考えてみましょう。
前者は基本的には国の在り方の普遍性を謳ったものであり、
後者はその上に立ち時代時代の要請に機敏に的確に変化対応していくものであると思います。
ですから例えば憲法に「戦争すべからず」とあるのなら
実際にどこまでの行為が戦争に当たり、どこからが平和行為なのかの線引きをすべきです。
解釈というバイアスの立ち入りは許されません。
法律というのは内側に居る人の行動基準であると同時に外部の人へ
自分たちの在り方を伝える宣伝文でもあるのです。
あくまでも法律という思想に基づいて形を決めるべきです。
その点で現憲法を不可侵とするか積極的に変えていくかの議論をするのもナンセンスですね。