前回はこれらが「自己規定の在り方」という点で同質だとまとめました。
今回は政治体制や文化との関係を考えていきたいと思います。
考え方を同じくする人々が集団を形成するとそこには政治という概念が生まれますね。
政治とは内外に起きる摩擦を最小限に抑えようとする働きと定義したいと思います。
今では政治と言えば法治政治ですね。
やってはいけないことを全て明文化することによって
考え方や思想が異なる人同士の間でのいざこざを回避できると話しました。
しかし古代の政治では必ずしもこの形と取りませんでした。
ユガヤの神権政治は司祭が神の代弁者、預言者として代わりに統治するという形でしたし
ペルシアやエジプトの専制君主制では神、または神の子として王に絶対的な権力を集めました。
アテネの直接民主制では投票によって個々の考え方が政治に反映されました。
これらはどれも法治政治ではありません。
ここで法治政治とは以下と定義します。
システマティックな法律の大系によってのみ政治を決定する。
しかし自己規定の在り方がそのまま政治にも当てはまるという意味では同じようです。
文化について見てみるともっと分かりやすいです。
ローマの法律の中では元奴隷であっても所定の方法にょって解放奴隷になれば
一般人と同じ権利が与えられますし、元奴隷ということで苛めるなんてこともありませんでした。
ここでは法律と人間性の間に矛盾がないと見られるようです。
それどころかあらゆる事象と法律の間に矛盾が生じないように法律を作ったようです。
現代の多くの国で法律と現実が大きく深く隔絶していることとは対照的だと思います。
歴史上、あれだけ優秀なユダヤ人は自分の国や都市というものをほとんど持ちません。
今あるパレスチナはシオニズム運動の結果として生まれましたが、かなり強引でしたね。
ユダヤ人が国を作らなかった理由は終末思想にあるのかもしれません。
最後の審判の日が訪れればユダヤ人だけの幸せな国を神が創ってくれるからです。
また、現実問題としては選民思想のために国と創れなかったんじゃないでしょうか。
他民族との協調なしに国として政治を行うのは無理ですからね。
話を戻してエルサレム神殿を中心としたユダヤの地域での政治は前述のように神権政治でした。
ユダヤ人=ユダヤ教徒であるのでこの政治体制に矛盾はないのでしょう。
なんしても彼らは古今、排他主義な人種です。
歴史を振り返ってみるとどの国にしてもその政治体制と文化に矛盾がないように思えます。
長い歴史の中で作り出されたことで実に理想的なものだったんではないでしょうか。
それを思うと現代の日本がほんとうにあるべき姿なのかは疑問です。