May 15, 2004

原始宗教と母性主義と日本文化

太古の社会は母性主義であった。
なぜであろうか。

そこにはこのような構図があったように思われる。
自然 ⇔ 生命 ⇔ 誕生 ⇔ 母

母親のお腹の中から赤ん坊が生まれる。
まさに超絶なる不可思議であり、
何よりもそこに自然の偉大さを見たというのが当時の真実であろう。

人間には理性を超えて本能的な種の保存という欲求がある。
そこに理性における理解の及ばぬものへの畏怖。
出産という現象は人間に対してこれら二重の意味で重要なのだ。
そして彼らは人間と自然の間の境界線上で相互を繋ぐ役割を母性に見たのだ。

それはシャーマニズムにおいての祭司の多くが女性、しかも処女であったことからもわかる。
生と性において処女性というものが自然への敬慕の表れであったことは言うまでもない。
日本のシャーマニズムでは卑弥呼という女性がその好例であろう。
また、土偶のほとんど全てが女性、しかも妊娠した女性であったことも一つのキーワードである。
赤ん坊は自然からの贈り物でありそれを授かる女性を豊作の象徴として見たのだ。

しかし、自然崇拝の衰退とともに状況は変わってきた。
近代化の進む中でもはや自然は恐怖の対象ではなくなったのだ。
出産も驚異ではなくなった。
そうなるとむしろ力の強い、兵力になる男性に社会の重心がシフトするのが自然である。
権力の象徴たる軍隊や政治を初め、会社幹部などを見ても多くは男性である。

しかし、日本は本当に男権主義であろうか?
ここに複雑な権力の二重構造が見えはしないだろうか。
社長ですら妻に頭が上がらない、尻にしかれる、財布は妻が持つ。
現実の女性の要求は別として
男性が日々働き家を守り、その中に女性を入れる。
まさに母性主義そのものではないだろうか。

なぜ、日本には母性主義が根強く残っているのだろうか。
それは国民の多くが潜在的に神道の精神構造を有していることが根拠に挙げられる。
町中には神社が自然と建っており人々と調和している。
日本人なら誰一人としてその風景に疑問を持つ人は居ないだろう。
神木と聞けばそれだけで大切な物と感じはしないか。
この現代において世界第二の経済大国でありながら、日本は原始宗教を文化の深くに残しているのだ。
そして神道が宗教観念としてはやや特殊な分類に入ることも重要である。
一般的な宗教、例えばキリスト教や仏教、イスラム教、ユダヤ教のように明確な経典の類を持たない。
そして道徳的側面が強く、民族宗教・大衆宗教のような色を持つこと。

そのために日本は外部の思想的、文化的な概念を直輸入することができない。
むしろ国民自体が本能的に拒絶してしまうのだ。
「仏教」ですら、日本人テイストに料理された仏教である。
しかし残念ながら、日本人は太平洋戦争という壁のために
未だにその前後の時代の交流が途絶えている。
日本人が本質的に抱えている性質に対して覗き込む機会が得られないがために
「自分はなんなのか」という疑問を持つことができないでいる。
神道はその大きな、とても大きなキーワードになり得る。
早く根無し草から卒業したい。

Posted by Samourai | Comments(0) | TrackBack (0)