人が死んだら土に埋める、燃やす、海に沈める、、色々と埋葬の方法はあるが、
その起源はいつだろうか。
なぜ人間は死者の埋葬を始めたのだろうか。
その起源は古く、はるか旧人類であったころ、
つまり現代に生きるホモサピエンスとは直接は血が繋がっていない人種である、
より既に存在したと言われる。
直接に血が繋がっていない、つまりは習慣その他の情報が受け継がれていないホモサピエンスも
同じようにして埋葬の習慣を持つようになった。
しかも、エジプト文明でも中国文明でもほとんど世界中で、もちろん縄文人も、
この行為は行われてきた。
つまり人種や地域の垣根を越えて一種普遍的な人間を人間たらしめるものであったように思われる。
他に世界共通と言えば言語、音楽、文字、シャーマニズム・アニミズムの類の原始宗教・・・枚挙にいとまがないがこれらはどうだろうか。
言語はお互いがコミュニケーションを取る必要性にかられて自然発生したものである、と思われる。
音楽は?
音楽の元をたどると遠隔地にいる仲間とコミュニケーションを取るために声をはりあげた。
もしくは木を、石を打ち鳴らした。
そこから始まったと言われる。
これも同様に言ってしまえば「時代が求めた」のであるように思う。
文字は?
これは宗教や生活様式に依存する。
例えば農業的な原始共産主義社会においては収穫量の記録や人口の把握などのために
宗教であれば、予言などの結果を書き残すために始まったもの、と言われている。
(農業から数学や天文学は生まれた)
やはり上記二者と同様であろう。
原始宗教ではどうだろうか。
まずはアニミズムから。
これは狩猟社会よりむしろ農耕社会で発生したように思う。
雨が降れば、土が肥えれば、天気がよければ、雷が、様々な自然的因果が収穫を決定していた太古。
人間にできることは少なかった。
人智を超えた何か得体の知れぬ力が自分たちをつつんでいる、とそういう情念が沸き起こったのではないだろうか。
自分を取り巻くそういう「宇宙」、「自然」といってもいいだろう、に畏れ敬う心が生まれたとしても何ら不自然なことではない。
万物を神と崇め、積極的に関わろうと、調和しようとしたその心の動きこそがアニミズムであったのではないだろうか。
自然を畏れぬようになってから、とくに近代化が進む19世紀・20世紀までにはほとんどの世界各地からアニミズムが駆逐されていった。
(ギリシャ文明・ローマ文明では紀元前5世紀ころには既にアニミズムは忌避される存在であったが)
シャーマニズムはどうであっただろう。
ややアニミズムとは事情が異なるように思う。
というのはアニミズムは人智を超えた「何か」への素朴な畏敬の念であるのに対して
シャーマニズムは神霊の類の、言い換えればヒューマナイズされた、自然と
積極的にコミュニケーションを取ろうとする欲求である。
見えない何かを見えないままに畏れるのではなく、むしろ逆に「この目にぞ見たり」というところではないだろうか。
これらには世界各地に存在したという共通項があるものの、
埋葬の習慣と原始宗教、とその他には明確な違いがあるように思う。
合理的な必要性が見られるかどうかという点である。
本人が理解しているかどうかは別にして、イルカだってサルだってカラスにだって言語はある。
場合によっては鳥一般も音楽を持っていると言えるかもしれない。
しかしこの二つはどうも人間固有の習慣であるように思われる。
つまり人間以外が持ち得なかった理性こそがその根本にあるのではないだろうか。
全て生きる者は恐怖する。
自分が死ぬことに、種が絶えることに。
しかし人間だけは理解のできぬものに、見えない何かにもまた恐怖する。
埋蔵とは死者を敬ったのではなく、遠ざけたのではないだろうか。
自分の目に見えぬところに。
腐敗や分解という理解できぬ現象や、死臭に強烈な嫌悪感を抱き、
いつしか土に埋めるようになった、こういうことではないだろうか。
数々の自然現象に「恐怖」して敬うということが原始宗教の起源であったことは既に書いた。
理性が生まれ、そこから恐怖が生まれ、
そこから自然を理解したいという心理が生じ、自然科学が始まった。
このようにまとめるとこれら二つの行為にもやはり他と同様な「必然性」が見えてはこないか。
世界を理解する簡単な方法は必然性の観点から紐解くことだと思う。